芸術

I ラファエロ – Raffaello Sanzio or Santi (1483-1520)

1506年 自画像

2022年、イギリスのNational Gallery (ナショナル ギャラリー)にて、”The Credit Suisse Exhibition RAPHAEL”が実施されました。

初!イタリアの外で、ラファエロの大規模エキシビジョンが開催されたものです。

ほんね
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この時はCredit Suisseがご存命だったというに…

はくたく
はくたく

本件のプロジェクトマネージャーは、
このエキシビジョンを行うにあたって最も大変だったのは資金の調達だった
と明言していましたな。

ラファエロとはどのような人だったのか(ざっくり)

ラファエロは言わずと知れたイタリアンルネッサンスの巨匠です。

ラファエロは、ローマ内だけではなく遠くの地域においても一世を風靡しました。
しかしそのキャリアは20年と短く、37歳の時に突然の死によって閉ざされました。

ラファエロの芸術の主流は油絵とフレスコ画で、その他にも、版画(prints)、タペストリー、モザイク、装飾美術、そして彫刻のデザインを行ったことで知られています。
また、建物や機械の設計図を書く職人として、幅広い手法(媒体)で活躍し、卓越した技術に裏打ちされた実践を行いました。

ラファエロ芸術の内訳
  • 油絵 / フレスコ画
  • 版画 / タペストリー / モザイク / 装飾美術 / 彫刻

ラファエロは同時に建築の才能にも恵まれていました。

ほんね
ほんね

そこらの、若手の建築家よりもできたらしいです
すごい

たとえば、ラファエロはいくつかのローマにおける発掘調査を監督し、古代ローマの遺跡などをより広く保存することに成功しています。

このエキシビジョンは、ラファエロの芸術家としての活動の全てを含み、包括的に知ることができます。

彼の驚異的な成功と、並々ならぬ情熱を図式化することで、ラファエロの特徴が浮かび上がりました。

ラファエロの特徴

  • 他の芸術家とのコラボレーションに対する熱意
  • アントレプレナーとしての意欲
  • 教会、王侯貴族、ローマ教皇の後援という、しばしば危険な領域で交渉する巧みさ

また、彼の芸術が何世紀も、つまり21世紀まで人々から賞賛され続けた理由でもある、彼の芸術の質にもハイライトを当てています。

ラファエロの芸術の質

  • 一見して違和感のない美しさ
  • 純粋さと調和
  • 構図や仕草による物語性は自然で、創意に富んだデザイン
  • これらのラファエロ芸術の質は、進化し続けた

ラファエロの年表

ラファエロの年表
  • 1483
    3月下旬 or 4月上旬誕生

    ラファエロ、Marche(マルケ)州、 Urbinoにて誕生。

  • 1491
    母の死を経験
  • 1494
    父の死により、生涯孤独となる
  • 1500
    初めて公式記録にラファエロが登場

    Città di Castelloで、17歳のラファエロの”マスター”が亡くなったと記載。

  • 1503 / 4
    ラファエロ、UmbriaのPerugiaに住み始める
  • 1504 / 5-8
    Florense(フィレンツェ)とPerugiaを中心に創作活動を行う

    個人的なクライアントの依頼で、祭壇画や聖母子像を描く。

  • 1508
    ローマへ移住

    教皇Julius II(ジュリアス2世)を描くためとされる。バチカン宮殿のStanze di Raffaello(ラファエロの間)を装飾する大掛かりな仕事を主導するようになる。

  • 1511 / 12
    Julius II (ユリウス二世)の肖像画を描く

    ローマ教皇庁での地位を確保。複数の建築的な仕事と、教皇の銀行家であったAgostino Chigi氏の装飾を手掛ける。

  • 1513
    教皇ユリウス二世の崩御とレオ10世の即位

    レオ10世は、芸術の偉大なパトロンだった人である。ラファエロは新しい教皇のためにStanzeの仕事を続けた。彼の工房はますます発展を遂げ、遂にはローマを支配するまでになった。

  • 1514
    聖ピエトロ大聖堂建築のチーフとなる

    レオ十世は、ラファエロをSt Peter’s Basilica(聖ピエトロ大聖堂)の建築チーフに任命した。

  • 1515
    精力的な活動を行う

    ラファエロはレオ10世のためにSistine Chapel(システィーナ礼拝堂)の壁に並ぶタペストリーのシリーズをデザインし始めた。
    また、8月、古代ローマの調査官に任命され、発掘の監督を行う。

  • 1520
    急病にかかり、ローマで亡くなる

    4月6日または7日

ラファエロのいたイタリア

ラファエロ エキシビジョンの構成

  • Room 1 Early works 初期の作品
  • Room 2 Florence and Beyond フィレンツェとその周辺
  • Room 3 Madonnas 聖母マリア
    The Pop’s Banker 教皇の銀行家
  • Room 4 Working for two Popes 二人の教皇に捧げる
    The school of Athens アテネの学校
  • Room 5 The Universal Artist 普遍的な芸術家
  • Room 6 Architect 建築家として
  • Room 7 Grand Visions 偉大な展望
    Friends and Patrons 友人とパトロン