ほんね
お寺や神社で説明をしてもらうと、「明治時代に仏像がなくなってしまって」とか
「前は(お寺だけど)神社もありまして」といった話を良くききました
よくわからなかったのですが、単語を見つけましたよ!
「廃仏毀釈」とは、明治新政府の神道国教化政策に依拠しておこなわれた仏教排斥運動のことです。
また、神仏分離令の布告・通達にともない、仏堂・仏像・仏具・経巻などにたいして各地で起こった破壊行為もさします。
はくたく
これにより多くの芸術が失われたものです。
戦争は間接的にもよくありませんな。
神仏分離令
慶応4(1868)年3月13日(4月5日)から明治元(1868)年10月18日(12月1日)までの
太政官布告、神祇官事務局達など一連の布告・通達の総称
- 1868神仏分離令
神道国教化を表明。政府が古代から続く神仏習合を禁止。
- 1868~廃仏毀釈
仏教弾圧の風潮が強まる。
それまで「神仏習合」の状態にあった神社仏閣において仏教色の排除と破壊が行われました。
神仏習合
神仏習合とはその字の通り、
日本列島固有の古来からの神全般への信仰と、6世紀に大陸から伝来した仏教とが密接に結びつくことで成立した状態・現象を指します。
例えば…
- 神社の本殿に仏像を祀る
- 仏教寺院の境内に神殿を構える
近代以前は、こういった神仏関係を「神仏混淆」という言葉で説明することもありました。
しかし、近年では日本列島以外の地域における土着信仰と世界宗教の「混淆」・「シンクレティズム」と区別するため、「習合」を用いることが多いとされます。
また、神の側からは仏と距離を取ろうとしていたという、「神仏隔離」説を唱える研究者もいます。
参考文献
『廃仏毀釈』, 畑中章宏, ちくま新書, 2021年