陶芸

1⃣ 縄文・弥生式の土器

縄文式土器
弥生式土器

縄文式土器、弥生式土器のどちらも、壺や鉢・皿といった器を土で作り、それらを火にかけて焼き固めた土器のことを言います。粘土の輪や紐を積み上げて、指頭で作られました。

色は赤褐色で、この色は焼製焔しょうせいえんが、酸化であることを示しています。

両土器とも、液体を中に納めると水分が外に浸透するような粗質であって、しかも脆弱でした。

ほんね
ほんね

田中さんからは、散々な言われようです

縄文式土器

縄文式土器が行われ始めた年代は非常に古く、数千年あるいはそれ以上に遡るともいわれています。
この時代は原始期とされ、人々は山野に狩猟し、海辺で漁撈ぎょろうが行われていました。

縄文式土器は、原始期から紀元前2、3世紀ごろまで続いたとされる、表面に縄目の模様が表れているものが多い土器のことです。

写真の壺の形に表れているように、上部の口部が広がって底部が極めて狭くなっています。
ものを蓄えたり煮るようの壺でも、これが基本形でした。

弥生式土器

弥生式土器は、紀元前2、3世紀ごろから焼製が行われるようになった(比較的)新土器です。

「弥生」の名は、明治18年1885年東京の文京区向が丘弥生町で発見されたことが由来です。

はくたく
はくたく

田中氏は、「(名は、この土器が)ようやく学会の注目をひくようになってつけられた」、「(この名の由来は)周知のことである」と記載しておるぞ。

ほんね
ほんね

この「ようやく」が、いつ頃なのでしょうね。

そして、全っ然周知ではないと思います。レベル高い…

弥生式の時代は、大陸から南朝鮮を経て農耕が伝わった時でもありました。
そのため、以下の特徴が見て取れます。

弥生式土器の特徴
  •  縄文式土器の形や模様に示されたような繁縟はんじょく*さはなく、すこぶる単純
     *繁縟:種々様々のいろどり
  •  壺でも、胴部が膨らむ割に口部が知育なり、使用の機能性が著しく向上した

弥生式土器は5世紀の後半、あるいは6世紀の初め頃まで作られていました。

その後、須恵器すえきに移行していきます。

参考文献
飛鳥・奈良・平安時代の陶芸 田中作太郎, 陶芸 原色日本の美術第19巻, 小学館, 1967