平岡八幡宮は大同4(809)年、弘法大師(空海)が神護寺の守護神として自ら描いた僧形八幡神像を御神体として創建されました。
山城国最古の八幡宮であるものの、平安末期は著しく寺社が荒廃し、一時は廃絶の時もありました。その際は、神護寺復興を進めた文覚が1190年建久1(1190)年に再興しました。室町期に入り応永14(1407)年の火災により社殿を焼失しましたが足利義満公にて再建されました。
長い年月とともに社殿が痛み江戸期、文政9(1826)年、仁孝天皇により修復され、文政10(1827)年、画工、綾戸鐘次郎藤原之信により本殿内陣に44枚の花絵(花天井)が描かれ内陣、外陣には様々な花木や文様がかかれ平成12(2000)年4月、京都市有形文化財に指定され現在に至っております。
平岡八幡宮パンフレットより
わかりやすく書いてくれているはずなのに、結構知らないことが多いです
神護寺
京都市右京区にある、弘法大師霊場遺迹本山高雄山神護寺のこと。
僧形八幡神像
八幡神が剃髪し,袈裟を着け,手に錫杖をもち蓮華座にすわる僧の姿として表現されたもの。
平安時代に盛んであった、「神は仏が世の人を救うために姿を変えてこの世に現われた」という本地垂迹説による神仏習合の思想です。有名なのは薬師寺蔵の僧形八幡神像 (9世紀末)、および東大寺蔵の快慶作坐像 (1201) が代表作例とされます。
神仏習合
神仏習合とはその字の通り、
日本列島固有の古来からの神全般への信仰と、6世紀に大陸から伝来した仏教とが密接に結びつくことで成立した状態・現象を指します。
例えば…
- 神社の本殿に仏像を祀る
- 仏教寺院の境内に神殿を構える
近代以前は、こういった神仏関係を「神仏混淆」という言葉で説明することもありました。
しかし、近年では日本列島以外の地域における土着信仰と世界宗教の「混淆」・「シンクレティズム」と区別するため、「習合」を用いることが多いとされます。
また、神の側からは仏と距離を取ろうとしていたという、「神仏隔離」説を唱える研究者もいます。
山城国
もともと、日本の地方行政区分として国は存在していたところ、延暦13(794)年11月8日(12月4日)の平安京命名と同時に、山河が襟帯して自然に城をなす形勝から桓武天皇が「山城国」に改称し、始まりました。
平岡八幡宮が創建されたのが809年なので、確かに14年しかたっていないので
最古かもしれませんね
足利義満 (在職:応安元(1369)年 – 応永元(1395)年)
室町時代前期の室町幕府第3代征夷大将軍です。鹿苑寺(金閣)を建立した人としても知られています。
仁孝天皇 (在位: 文化14(1817)年 – 弘化3(1846)年)
仁孝天皇は、日本の第120代天皇。諱は恵仁。幼称は寛宮。 光格天皇の第4皇子。
天保の大飢饉による農民一揆、深刻な米不足、大塩平八郎の乱など、各地で事件が頻発した時代でした。泰平の世が崩れ始めた頃、朝廷は幕府との関係を保ちながら、光格天皇の願いでもあった朝廷権威の復活を目指していました。
綾戸鐘次郎藤原之信
この方、全然わからないです
論文検索しても出てこないので、平岡八幡宮にだけ記録が残った方なのかもしれません
京都市有形文化財
京都市有形文化財とは、国の文化財登録制度によって登録された建物です。緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため、平成8(1996)年度から施行されました。
条件は、以下のような基準を満たすものが対象となります。
- 築後50年を経過している建造物
- 国土の歴史的景観に寄与しているもの
- 造形の規範となっているもの
- 再現することが容易でないもの
京都市では近代の建造物を中心に市内243件(2019年1月末)が登録されています。