笑嶺 (宗訢)は、永正2(1505)年~天正11(1583)年に生きた、大徳寺第107世住持です。
ほんね
この時点で107世というのがすごいですね!
笑嶺さんの名前を正確に言うと、字を笑嶺、名を宗訢、號は喝雲でした。
伊豫国河野氏の出です。
伊豫国 = 現在の愛媛県付近
河野氏は、有力豪族*で越智氏の流れをくむとされる
豪族*:地方に住んでいる有力者で、大きな富や勢力を持ち、地方を支配する力を持った一族
永禄元(1558)年10月17日に大徳寺に出世し107世を継ぎました。
笑嶺さんのメインイベント
- 永禄元(1558)年10月17日
大徳寺に出世し、107世を継ぐ。
- 不明永禄9(1566)年よりも前
大林宗套が開山した南宗寺を継ぎ、第2世となる。
南宗寺は三好長慶の父、元信の菩提寺。武野紹鴎、千利休が修行をした。
- 永禄9(1566)年
三好義継が三好長慶の菩提を弔うために創建した聚光院の開祖となる。
- 永禄12(1569)年9月5日
祖心本光禅師の号を正親町天皇より賜った。
- 天正10(1582)年10月15日
織田信長の葬儀の際、秉炬の役を務めた。
この時笑嶺は志士の心持であった。
織田家の嗣子に対する秀吉の態度如何によっては、法要の席で彼を刺殺せんとして私かに短剣を蔵していたといわれる。茶道文庫6大徳寺系譜, 佐藤虎雄, 1939 より
秉炬とは:
葬儀を司る僧侶(導師)が、松明を取って火葬に向けた儀式をすること
長生きをして後継にも恵まれた笑嶺さんは、法を嗣ぐ春屋・古渓などがいました。
また有名な俗弟子は千利休です。
笑嶺和尚の南宗寺時代に参禅して禅に開眼したといわれています。
ほんね
ここに出てくる人たちをメインに、人物相関図を作りましょう!
参考文献
茶道文庫6大徳寺系譜, 佐藤虎雄, 1939